滅び行く恐竜
ついにガラケーが末期を迎えています。
今年の12月で丸3年を迎える僕のガラケー。モデル名なんて知りません。これは電話という機能を使うためだけにあるものだと思っています。
多い日は40件以上の発着信があります。相当な数のメールもこなします。
もうかなり使っている人が少なくなり、電車の中で出すと、かなり疎外感を感じます。
娘は恥ずかしいとさえ言います。以前は農園のおばあさんに懐かしいと言われてしまいました。
でも、超お気に入り。
何しろこのガラケーはなかなか曲者で、意外にいろいろできます。
まず、Edy。これほど便利なものはありません。
そしてモバイルスイカ。これまた便利極まりないです。
麻雀ゲームもできます。銀行残高や振り込みだってできます。
しかし、それらの機能もいよいよ終焉がやってきました。
先日モバイルスイカにカード経由で入金しようとしたら、更新を迫られると同時に来年の2月でサービスを打ち切る旨のメッセージが出てきました。
がーん。
Edyも同じく、早くからアナウンスがあり、スイカよお前もか!と言わんばかり。
まー、3Gが終了したら、どのみち通信できなくなるので、順当と言えばそれまでなのですが、一抹の寂しさを感じさせます。
そもそも、今現在、ネットがつながるコンテンツなどほとんどなく、ことごとく見れなくなりました。
既に終わっているという感じ。
思えば東京デジタルホン開局から使い続けたガラケーです。一度は誰より先にスマホに飛びつきましたが、あまりの使いづらさにスマホアレルギーにかかってしまい、使うとかゆくなるようになってしまいました。
去年の1月の入院でスマホの高性能さを享受してからは、手放せなくなり、アレルギーも治りつつありますが
かつては、その性能やデザイン、果てはカラーリングを自分で行うなど、いろいろな楽しみがありましたが
このガラケーが最後となりました。
最後のガラケーは最後らしく、防水、防塵、耐衝撃、長時間持続バッテリーとおおよそ出発時から考え得る理想の形が、奇しくもガラケー最後の姿となりました。
今年末まで使うか、新しいケータイに移行するかまだ迷っていますが、遅かれ早かれあと数か月の運命です。
さてガラケーを使う人間は?
僕は、自分は革新派で、古い事より新しい文化に変えていった方が良いという考えから、MPIでもその信念に基づき、外注仕事を引き受けないで、従来の下請け稼業のイメージとは違うスタイルを模索しました。
作業ファクターや使う材料も吟味し、良いものは取り入れて、古くから残る考えでも、新しいものでより良い置き換えの効くことはすべて捨ててきました。
MPIの社是の「論理無き行動は無、行動なき論理は死」を実践してきたつもりです。
しかし、開業から23年が経過しようとしている今、実に保守的な自分がいることに、本当にイヤになる時があります。
しかもかっちかちの保守です。
一度でも嫌な目に合えば、そちらの方向には行かず、失敗を黙認できず、安全な道ばかり選びたがり、過去からの安全な方法に固執する。
失敗を恐れるあまり、新しい方法や冒険を受け入れたがらない
そんな自分とガラケーが重なって見えるように思います。
いつからそんな自分になってしまったのか、今一度ガラケーと一緒に変えていきたいと心に念ずるのでした。
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私もガラケー使っています。8年位経過します。テレビも見れるし、ラジオ(FM)も聞けるので、まぁまぁ重宝しています。
あと2年位で、3Gが使用できなくなるので、デザイン重視で、AUのINFOBAR(ガラケー)にしてタブレットとの2台持ちにしようかと考えてます。
投稿: Nob | 2019年9月12日 (木) 22時49分